スバルが伝えたいこと(手の届きそうな昴)

00000363301561main image

星を探そう、星をみよう、星の声を聴こう。

ダイヤルに触れると見えない世界に焦点を合わせ始める。さらに歩み寄ると彼女に夢中になっている自分に気づく。彼女とは望遠鏡のことだ。 人は何かしたいことを見つけたら、匠から学ぶ。ツールのスペシャリストに頼る。

さて、自動車ではどうだろう。

誰よりもはやく駆け抜けたい、世界の点と点を結び、色あせた世界線から別の扉を開きたい。こんな思いを抱き、ひとは彼女を手に入れる(私の場合はAE86だったが)。 自動車の声を聞くことは決して容易ではない。むしろ人生をかけたところでかすかな声も聞くことすらできず、暗闇の中に葬られてしまうかもしれない。 それでも、かすかな声を聞こうと今夜は星に手が届きそうだと思える瞬間が寄せてくるたびにキーシリンダーをまわしてしまう。 私を取り巻いていた世界の雑音が消える瞬間だ。

少なくとも一世代前、二世代前の自動車は声を聞くことは難しくはあるけど、聞きにくいほどではなかった。たくさんの努力でどうにかなることもあった。しかし、現代の自動車は声を発することが少なくなった・・・。寂しい限りだが、その代わりにあなたたちは別の世界を知り、それを選ぶようになった。

それは自動化だ。

スバルを例にとってみよう。 スバル車を運転しながら、あなたはなにをするだろう。会話。音楽を聴く。はたまた、単調な移動を繰り返す。こんなことができるようになったのは、何にも優先して自動化が進んでいるからなのだ。 ブレーキを踏めば、程よくブレーキシステムが止めてくれ、時にあっ、と思う瞬間にもeyesightが止めてくれる。高速を運転すれば、オートクルーズモードであなたは会話に気を取られてもさして問題ない。などなど・・・。 人生とは有限だ。つまらないことに無駄を作ってはいけない。 だからこそ、自動化が進み、そしてあなたたちは運転による時間の消費をしなくてすむようになったのだ。これはいいことだよね。

でも、進みすぎたその結果、スバルが伝えたかったことが後ろに隠れてしまった。いや、むしろ存在していなかったのではないかと思わせられる瞬間だってある。 昔はよかった・・・とはよく言ったものである。

これまで書いてきた中で”声”というキーワードを使っているが、それが聞こえるスバル車は今現在、新車で迎え入れることができるだろうか。実はすべての車種でできる。それは否定しない。 すべての車にスバルの血が流れている。レヴォーグだってそうだ。このクルマに関しては批判する人も少なからずいるが、万人にスバルの声を届けたくて、知ってもらいたくて試行錯誤してできた車だ。 それでも、すべての人に声は届かない。スバルの願いは届かない・・・。

だからといってスバルはあきらめなかった。 自動車で伝えることができない。CMでも伝えることが難しい。でも、リピーターだけは知っているスバルの声。だったら、現代においてリピーターの多い世界に踏み出せばいいだけなのだ、と。 そこで出した答えがアニメなわけで、かの有名な「放課後のプレアデス」がかすれる声で鳴きはじめたのである。

普通、新作のアニメって一話からみていれば人物の説明やストーリ性の説明が織り込まれているから理解はできるけど、このアニメは普通のアニメの見方では通用しない。スバル社の生い立ちを知っていなければ何も理解できずに、単なるかわいいキャラが出てくるノリのいいアニメで終わってしまう。 劇中に出てくるバス停。これは簡単だ。その名の通りだから。では、あの望遠鏡の意味は?こんぺいとうは?さらにさらに、台詞に潜む意味は。敵役?の正体は(これは私の想像で、答えを知っている訳ではない)あげたらきりがない。

でも、これらはすべて小ネタどまり。 スバルがアニメを通じて本当に伝えたかったこと、それはたとえばスバルインプレッサWRXを生むにあたってのこれまでの道のり、そしてこれからの道なき平野に道を造るという意思ではないのだろうか。

劇中の台詞に”いくらきれいでもここでしか生きていられないものに意味があると思うかい。どんな輝きも人の目に触れなければ暗闇と変わらないように”とある。

時として、”言葉”が邪魔になり、ことの本質を伝えることができなくなってしまうときがあるが、それがまたおもしろく、アニメならではの伝え方だ。 前述の”言葉”を”自動車”に変換して読み直してほしい。はたまた、”技術”でもいい。 なにか引っかかるものが生まれるのではないだろうか。目に見えているものが見えなくなったとき、これまで理解していたこととは違ったことを知る機会を得るのだ。

つまり、”個々が素晴らしい技術でもその枠から出ることが出来ず、ひとの目に触れず、役にもたてないままの亡霊であっていいのか”と。

スバルの伝えたいこと、それは”i’m a スバリスト”だ。 日常に掛け買いのない移動のツールとして大衆に愛されているが、点と点を結ぶ瞬間を体感できる自動車はスバルしかありえない。なにもこれは運転性能やドライビングテクニックに限っていっている訳ではない。私のいう点とは、”温度”、”振動”、”走行性能(運転性能もしかり)”、そして”音”なのだ。 車に乗り込むとき、外気が寒ければひとの体温や気持ちの温度が下がりこむ。それでも気持ちにムチをうち、エンジンに自動車のかけらを差し込み、火がともる。 時間が経てば温度も上がり、心臓が落ち着き始め、これとは裏腹に攻撃的なアイドル振動が腰を刺激する。脊髄反射かのように反応した足はアクセルを踏み込み始め、自動車の片割れの道路へと流れ出していく。これらは一つずつサインを送っているのではない。時間を追うごとに多重奏となり刺激する。 そして、それらの集合体であるあの音が聞こえた瞬間、スバルの本当の声を聴けるチャンスだ。

夏にさしかかるころ、プレアデスが最大の輝きを放つ・・・。

さぁ、再び覗き込もう、あの部屋を。あの星の声を聞くために・・・。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加