幻の仙石線~東名駅の記憶

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元東名駅 ホームの端

5月のある日、 仙台で保育士学生向けの採用説明会へ出展する機会があり、 松島まで少し足を延ばしてみることにした。

前回 松島を訪れたのは、震災後の2011年7月。 清らかで力強い瑞巌寺入口からの光景に目を奪われつつも、 お土産屋さんに掲げられていた、震災直後に掻き出された土砂の写真を目に、 何とも言えない気持ちが湧き上がったのを覚えている。

あれから、2年。 瑞巌寺は前回のみずみずしい魅力をそのままに、 今回は人の背の高さほどもある伊達政宗の遺影がお目見えする特別期間とあり、 新鮮な切り口で来場者を喜ばせていた。

その後、瑞巌寺の並びにある、CM撮影などでも有名な美しい庭園:圓通院を訪れる。 ちょうど一時間に一度 園内を案内するガイドさんとタイミングが合い、 歴史背景を踏まえた時空を超えた魅力を紹介していただく。

印象的だったのは、最後の言葉である。

「松島は湾になっており、入口に島がたくさんあることで被害が少なく済みましたが、 少し先へ行くと、津波の被害を大きく受けている場所があります。 これからも日本は、今回のような未曾有の震災に襲われる可能性が高い。 たとえ旅先にいても、海のそばで地震が来たら、すぐに逃げるべきです。 この先にある東名(とおな)という駅へ足を運び、現状を見て 教訓にしていただければと思います」

私はその後、青葉城へ行く予定を変更して 松島海岸駅から出ているバスに乗り「東名」で下車して、東名駅跡へと向かった。

のどかに広がる、線路跡。 まるで、30年前からそうだったかのように、なくなった線路の脇には草が生え、 折れ曲がった標識が立っていた。 初め、そこが駅だとは分からなかった。

鉄道が好きで、未だに全国を青春18切符で旅する鉄子としては、 レールを辿って線路を歩くのは、本来ワクワクする体験である。 しかし---歩いても、二度と向こうから列車が姿を見せることは、ない。 仙石線 松島海岸から先の区間は、廃線となることが決まっているのである。 線路を辿って目に付いたのは、レールがはがれている部分と共に 枕木の間隔がズレてしまっていること。 津波があたり一帯を覆い、全てを持ち上げてしまったのだろう。

線路沿い、綺麗な家(震災後に新しく建て直した家)とともに、 ところどころに残る礎石と津波の跡(家の壁 1.5メートルほどのところに付いている)。 津波が覆ったであろう当時の光景に思いを馳せつつ歩いていると、 感慨深そうにあたりを見回しながら歩く、一人のおばあちゃんに出会った。 挨拶をすると、昔からこのあたりに住み、 ホタテを採る手伝いをしたり、子育てをしたり--- 震災当日は お孫さんを小学校へと迎えに行き、津波を逃れた人であった。

「上がってくか?」人の好い笑顔に誘われて、 筍の煮付けをご馳走になりつつ当時のお話を聞かせていただいた。

ここは海からの津波の流れと、川が氾濫した津波の流れが渦を巻く場所であり 辺りの車は巻き上げられ、渦の中で音を立てていたこと。

中から「助けて~!」という声が聞こえたが、何もできなかったこと。 家の一階部までが、水で埋まっていたこと。 (「テレビか映画みたいだったよ!」と笑ってお話し下さる。)

地震のあったその日の夜から盗難があり、 警察と消防署の方が1時間交代で見周りをして生存確認をしてくれていたこと。

子どもを預かる保育園の仕事をしている身としては、子どもの様子が気になった。 近所の保育園は避難をしたが、保護者が迎えに行く途中で津波に遭い、 命を落としてしまった子もいたこと。 その子どもは、待ちに待って望まれて生まれてきた子であったこと。 リアルな感情や光景とともに伺うお話に、胸が詰まった。

「今度はお土産を持ってきます。」 ご挨拶をし、バスを待つ時間でもう一度 川沿いの道を歩く。

変わり果て、そしてまた生きる力を取り戻した土地は 夕暮れの光に照らされ美しく輝いていた。

文明が発達した中でも、私たちは自然と共存している。 そのことをあらためて胸に刻み、 地震への備えや子どもの命を守る仕事につなげていこうと 覚悟を新たにする、貴重なひと時となった。

*震災直後の東名駅の様子

http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/34497325.html(仙台への帰還の道1さまより)

http://d.hatena.ne.jp/tripodworks-ceo/20110403(仙台のITベンチャー日記さまより)

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松原美里
エクレス子どもの家保育園 施設長
LOVEあばしり 代表/UmehanaRelations 代表

北海道網走生まれ、父の転勤で道内(留萌・釧路・北見)・道外(青森・山梨)を回り、中高を網走で過ごして横浜・東京へ。
保育士・児童養護施設職員を経て「子どものためには、大人が輝く背中を見せること」とUmehanaRelationsを立ち上げ、
子育て支援事業(執筆・監修・講演)と保育士コミュニケーション講座を主催。
現在は横浜の保育園施設長の傍ら、地元網走の市民活動を楽しんでいる。
趣味は歴史・鉄道・写真・着物。

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何気なく道路に横たわる標識が、当時の状況を物語っている
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帆立の産地であり、かつてはサーファーでにぎわっていたという海
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駅名が残る看板
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おだやかな表情を見せるかつての線路と、日常を取り戻した家々
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近所で取れたという、筍の煮付けをいただく
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穏やかな表情を見せる鳴瀬川