「そういう休み方」ができる場所                —みやこ町長のチャレンジ

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インタビュー中のagreen平山世話人と澄川氏

地元の若い経営者を中心にしたグループと一緒にメディアを制作するセミナーのために、毎月大分県の国東市を訪問しているが、7月に訪問した際、国東市から近く、agreen世話人の平山氏とも懇意にしている福岡県みやこ町の井上町長を訪ねることにした。

自らfacebookやブログを立ち上げ、情報発信に熱意を持っているほか、英語とフランス語が堪能というユニークなスキルも持つ、ちょっと変わった町長さん、というのが平山さんの弁である。

事前に少しくらい予習しようかな、と町のホームページを検索すると、まず検索結果に「みやこ町−ようこそみやこ町ホームページへ」と書いてある。他の行政ホームページはほとんど「〇〇市(町)公式ホームページ」とあるか、単に市町村名が書いてあるだけなので、なかなかのこだわりが感じられる。正直、気づく人はほとんどいないと思うのだが、こういった細かい部分でも言葉遣いに気持ちを入れよう、という考えは行政運営全体にいい影響を及ぼすだろう。

そしてホームページトップに移ると、サブタイトルに「京都地域の明るい未来を目指して」と書いてある。「あれ?福岡県じゃないのか?」何度か検索エンジンとの間を行ったり来たりしても、どうやら、「みやこ町」はここにしかない。結論から言うと、ここの住所が「福岡県京都郡みやこ町」。ちなみに「京都郡」と書いて「みやこぐん」と読む。

日本武尊の父親、第12代景行天皇というから、実在の人物ではなく伝記上の人物の可能性も高いが、この天皇が熊襲(くまそ)征伐のためにこの地に行宮(かりのみや=仮の都)を置いたことから、古くからここを京都、と呼ぶらしく、われわれが知っている京都よりこの名前の歴史が古い、というすごい町なのだ。

1950年生まれの井上幸春町長は、まだ一期目。東京で民社党塚本委員長秘書などの政治活動をしたあと帰郷し、福岡県議を経て一昨年出身地の町長選に当選。3つの町が合併してできたみやこ町の二代目町長ということになる。ご本人もおっしゃっていたが、地方の行政長は地元の役所出身の人が多いなか、経歴もユニークな存在だといえる。

出身地とはいえ、18年ぶりに故郷に帰った井上さんは、まず生まれ育った地域の歴史を整理し、わかりやすく発信することから始めた。これはよくわかる。僕も出身地ではない千葉ウォーカーの編集長になったとき、まず千葉県の歴史の本をいくつか読んだ記憶があるからだ。地元の人々と認識を共有するには、歴史を共有することが一番の近道になる。

もとより前述のように古い歴史に根ざした地名を持つ町だが、近代に目を移しても、森鴎外から深く信頼された漢学者であり、「昭和」の元号を考案した吉田学軒、やはり夏目漱石から深く信頼され、小説「三四郎」のモデルになったドイツ文学者の小宮豊隆、日本の社会主義運動の父であり、日本初の編集プロダクション創設者、という堺利彦、NECの創業者で日本初の合弁会社設立者でもある岩垂邦彦などの人材を輩出している。

井上さんは県議時代からこういった歴史の見直しや発信に熱意を持ち、町長になってからも東京に在住する小宮の遺族から漱石の200以上にも及ぶ書簡を譲り受け博物館に整理するなど、歴史を元に地域のアイデンティティを確立することに腐心している。これらを展示する一方で、人物の伝記ドキュメンタリーを制作してDVDにしたり、ホームページ上でも公開するなどもしている。

ドキュメンタリーは地上波のTV局が作ったと聞いても疑わないほどのクォリティで、これを格納するホームページのデザインもかなりの出来であり、コンテンツ制作においては、文句のない仕上がりを誇っている。

あとはこの優れたコンテンツの存在をどう広めて行くか、ということになり、そこが町長自らブログを書いたり、facebookを展開したりしていることにつながるのだろう。ただし、Webというのは何百万人がアクセス可能でありながら、実際にアクセスさせるには大変な努力がいるメディアでもある。このことは町長自身十分認識しているらしく、積極的に地元のNHKの取材を受けるなど、考えられることはなんでもしよう、というスタンスでおられるようだ。

ちなみに、この地域の歴史話は他にも豊前の国府があった、とか、奈良から始まる祇園祭りのもっとも古い形態の祭りが残っているとか、来年の大河ドラマの主人公(岡田准一が演じる)黒田官兵衛が秀吉の国替えを拒否したこの地の領主一家に取り入って一家を誅殺した歴史から、黒田節を歌ってはならない、と言われている地域もある、とか、古代から近代まで枚挙にいとまが無いくらい続いたのだが、あまりにも情報量が多いので、また次回の訪問記でおいおいご紹介していく。

ただ、このように歴史的価値や人物の情報があまりにも多いことが、逆に情報発信の妨げにもなっているようにも見受けられる。セミナーでも何度も話していることなのだが、メディアの基本は「絞る」ことに尽きるからだ。ターゲットを絞る、コンテンツを絞る、そうして初めて広くイメージが定着するものだと実感している。その意味では、どうコンテンツを取捨選択していくかはなかなか難しい判断になるだろう。

一方、こうした歴史的情報量の多さを逆手に取って、別な方向にシフトしたブランディングも考えられる。数多くの文人を輩出した土地柄をまとめて知性的(と思っている人、も含めて)な層に訴求するとか、歴史の交差点的な土地柄をまとめて心のリゾート的な訴求をするとかの手法も有効かもしれない。

井上町長もこの方向をイメージしているらしく、「みやこ町を九州の軽井沢にしよう、と言っているんですよ」という発言もあった。さまざまな歴史コンテンツをトータルした、知性派のリゾート、という位置づけは、うまくブランディングすれば成立するかもしれない。

町長自身、大学時代2年フランスに留学し、出発する際、横浜から船でハバロフスクへ向かい、ロシア(当時はソ連)を横断してレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)や北欧各国を回ってパリに向かったという経験を持つ。このような行き方は、渡航費節約、という意味もあるが、社会主義国ソ連を見てみたかったのだそうだ。社会主義の未来はバラ色だと、特に学生運動に熱心な若者を中心に思われていた時代でもあった。

こうした好奇心やあくせくしない時間の使い方に、若くして渡航したヨーロッパでさらに磨きをかけたようで、今は町の職員にも、休みを取るなら一週間くらい続けて休むよう奨励しているのだという。ご本人も「休みを取るなら携帯も持たず、本だけ持って一週間くらい出かけたい」と話す。

軽井沢を日本有数のリゾートにしたのは、夏涼しいからというだけでなく、イギリス人を中心としたヨーロッパ人たちが最初に築いた避暑地である、という歴史的認識が実は大きい。彼らは避暑地では観光をするのではなく、ただただ本を読んだりして時間をゆったりと過ごす。皇室の人々も含めて、過去に軽井沢を避暑地として好んで滞在した有名人——室井犀星からジョン・レノンまで——はみなこうした価値観を持った人々だった。

「そういう休み方が日本人にはなかなかできないよね。訓練しないと(笑)ね」と町長は話すが、「そういう休み方」ができる場所、もしくはそう認識されている場所が、日本に少ないのも事実。「そういう休み方」ができる場所としてのみやこ町、というのも悪くない。今後の町長の手腕に期待しよう。

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重信裕之
株式会社 アッシュ&カンパニー代表取締役
文筆業/編集業/メディアコンサルティング

1961年生 神奈川県横浜市出身
中央大学経済学部経済学科1984年卒業

●株式会社リクルート『住宅情報』編集部を経て、1988年から角川書店に在籍。20年の在職中7年間をアニメ・ゲーム関連、残りは「ウォーカー」シリーズを中心とした都市情報誌関連の雑誌編集部に在籍。1994年から15年間は編集長として5つの雑誌に関わり、モバイルサイト制作の子会社の立ち上げなどにも参加。
●2009年に退社・独立。これまでのノウハウを活かし、メディア開発を中心に活動中。紙、Webに続く第三のメディアとしての商業施設の可能性に注目し、商業施設運営会社とアライアンスを組み、施設の情報発信に関するコンサルティング、メディア制作などを手がけている一方、地道に紙メディアの新たな可能性も模索中。
●agreenでは国東市の情報発信力強化セミナーの講師を担当するほか、『agreenものがたり』サイトのディレクター

編集長を務めた雑誌
『月刊ニュータイプ』『月刊ゲームウォーカー』『シュシュ』『東京ウォーカー』『千葉ウォーカー』

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町長室から見たみやこ町の風景
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町長が手にしているのはみやこ町出身のイラストレーター、しいたけさんによるキャラ「みやこ姫」のスカーフ。元アニメ誌編集長の僕から見てもなかなか画力のある人。海外でも人気だそう
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「みやこ町」の検索結果
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みやこ町デジタルミュージアムのページ