網走人は何故、肉を「飲む」のか?

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網走駅前風景

網走と言えば囚人が有名だけど(?)、海産物も豊富なんだよね。でも魚種が少ないから地のモノだけで寿司を頼むと、結構貧相になるし、築地モノに慣れた人からすると、物足りなく感じてしまうかも。

そう言う自分も、”オニギリの上に刺身を乗せて、寿司って言われてもねぇ・・・” と網走の夜の街で現地民に悪態をついてたりする。そんな感じでやってるモンだから、現地の人から魚のお誘いがメッキリ減った。そして代わりに増えたのが肉のお誘い。北海道だから当然酪農も盛んで、和牛から、豚、鳥、ジンギスカン、そして鹿、熊などマニアックなモノまで一通り揃う。で、網走の肉文化なんだけど、食べ方が豪快の一言。今回もすき焼きや焼肉をご馳走になったんだけど、網走流の食べ方を紹介しよう。

まあ、網走流の肉の食べ方って行っても、特殊な器具や味付けがあるワケじゃない。簡単に述べると、高級和牛を味わうこと無く、飲み込むんだよね。普通、魚でも肉でも咀嚼の時間をある程度確保し、旨みを味わうのが食の楽しみだと思うんだけど、こっちの人の食べ方は一撃必殺のインパクト勝負。口の中に広がる油の衝撃を重視しており、アンマリ噛まずにゴクっと飲み込んじゃう。だから複数ですき焼きや焼き肉に行って感じることは、網走での肉食は格闘技に近いなということ。絶えず肉が投入され、会話なんて楽しむ余裕が無い。まだ鍋や網の上に未食の肉があるのに、せっせと肉が投入されるモンだから、年甲斐も無く、自分のキャパ以上に肉を摂取するハメになる。ある意味、ヨソ者に対する洗礼と感じるかも。

食の楽しみは、料理半分、会話半分ってのが相場だと思っていたけど、網走では、アンマリ会話は重要視されてないみたい。どっちかって言うと、メシ友として、ガッツリ行こうぜってノリ。コミュニケーションよりも共通の体験を通じた連帯感、戦友意識が重要なのかも。最初は魚種も単調なら、人間の種類も単調で、今更話すコトなんて無いんだろうと思ってたけど、どうやら網走では契りの杯ならぬ、契りの肉飲みを通じて、共同体としての意識を醸成しているのかも知れない。網走に行ったら、是非肉飲み体験を通じて、地域コミュニティに溶け込むことをオススメする。胃腸薬持参の自己責任で・・・

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平山雅一

株式会社BFT 代表取締役